1. 柏(かしわ)という植物の特別な意味


三つ柏のモチーフとなっている「カシワ」の木は、古来より日本人にとって神聖な植物とされてきました。

 

神事との関わり: カシワの葉は大きく丈夫なため、食器(器)が普及する前は、神様へのお供え物を載せる器(炊ぎ葉:かしぎば)として使われていました。

そのため、神職を司る家系にとって非常に縁起の良い植物でした。

 

子孫繁栄の象徴: カシワの葉には「冬になっても新芽が出るまで古い葉が落ちない」という特徴があります。

これが「親が子に家督を譲るまで死なない」と読み解かれ、「子孫繁栄」「家系が途絶えない」ことを願う武士の間で非常に好まれました。


2.紋様の構成とバリエーション


三つ柏は、3枚の柏の葉を中央から外側に向けて放射状に配置したデザインです。

葉の脈(筋)の数や、茎の有無、また周囲を囲む「丸」の有無によって多くのバリエーションが存在します。

三つ柏: 基本形。3枚の葉を組み合わせたもの。

三つ柏

丸に三つ柏: 三つ柏を円で囲んだもの。最も一般的に見られる形式です。

丸に三つ柏

蔓柏(つるがしわ): 葉の間に蔓(つる)が描かれた、より装飾的で優美なデザイン。

蔓柏

 

3.三つ柏を掲げた有名な家系
この紋は、主に神官や武家によって広まりました。

熱田神宮の大宮司家(千秋氏): 柏が神事に関わることから、早くから紋として採用していました。

山内一豊(土佐藩主): 三つ柏を代表する武将といえば山内氏です。山内一豊が戦功を挙げた際、宿としていた場所にカシワの葉があったことにちなむという伝承があります。

 

岩崎弥太郎(三菱財閥創業者): 土佐藩出身の岩崎弥太郎が、山内家の「三つ柏」と岩崎家の「三階菱」を組み合わせて考案したのが、現在の三菱グループのロゴマークの原型です。

 

 

 どのように三菱のマークが三つ柏から発展したのでしょうか?

結論から言うと、三菱のマークは「土佐藩主・山内家の家紋(三つ柏)」と「岩崎家の家紋(三階菱)」が融合・簡略化されて誕生しました。

 

(1) 二つの家紋の融合
三菱マークのルーツは、明治初期に弥太郎が興した「九十九(つくも)商会」の船旗にあります。

土佐藩主・山内家の「三つ柏(土佐柏)」 弥太郎は土佐藩の出身であり、九十九商会は土佐藩の事業を受け継ぐ形でスタートしました。そのため、藩主への敬意を表し、当初は山内家の家紋である「三つ柏」に近いデザインを使用していました。

一方で、岩崎家自身の家紋は、菱形が縦に3つ重なった三階菱という紋様でした。

三階菱

 

(2)変化のステップ:柏からダイヤへ
現在の形になるまでには、以下のような視覚的な変化がありました。

初期(九十九商会時代) 船の旗印として、三つ柏の「葉」の形を少し意識した、より尖った三角形に近いデザインが使われ始めます。この段階ですでに「三つの要素が中心に集まる」構図ができていました。

融合と抽象化 「三つ柏」の葉の広がり(3方向への配置)と、「三階菱」の菱形という要素がミックスされました。柏の葉の複雑な線を削ぎ落とし、岩崎家の象徴である「菱形」に置き換えて、現在の3つの菱形が一点で接する形へと洗練されていったのです。

社名の決定 この「3つの菱形(三菱)」のマークが先に定着し、その紋章の形から後に「三菱」という社名が正式に決まったと言われています。

 

(3)なぜ「柏」から「菱」になったのか?
単なるデザインの簡略化だけでなく、実用的な理由もありました。

視認性の向上: 船の旗(船旗)として使う際、複雑な柏の葉の模様よりも、シンプルな菱形の方が遠くの海上からもはっきりと識別できたためです。

近代化の象徴: 明治という新しい時代、古い封建制度の象徴である「家紋」を、よりモダンで力強い「ロゴマーク」へと進化させた弥太郎の先見の明とも言えます。

このように、三つ柏は三菱マークの「骨組み(構成)」を与え、三階菱がその「肉付け(形)」を与えたことで、世界的に有名なスリーダイヤが完成したのです。

 


4.現代における三つ柏


現在でも「三つ柏」は日本で非常に多く使われている家紋(十大紋の一つ)です。お墓や仏壇、紋付袴などで目にする機会も多いでしょう。

そのデザインは、力強さとバランスの良さを兼ね備えており、単なる家系のシンボルを超えて、日本の美意識や「生命の循環」を象徴するものとして受け継がれています。

 

幸せ家系図

経営者のための繫栄の家系図譜

 

更新:2026年01月19日