あらためて、こんにちは。
家系図株式会社行政書士の山﨑博之です。私の生まれは大阪市で、育ちは大阪府八尾市です。わたしが子供の頃、父は、晩酌をしながら生まれ育った故郷(京都の丹後半島にある宮津市)の話をしてくれました。そして祖父母のことも 教えてくれました。祖父は、丹後半島の山奥で農業をしていましたが、畑仕事より漢文の本を読むのが好きな、当時としてはちょっと変わったお百姓さんでした。
祖母は、畑仕事に集中しない祖父の分まで畑仕事をして苦労したそうですが、祖母が愚痴ひとついわなかったことを、父は自慢げに話して いました。祖父母のなれそめは、お祭りで上手に笛を吹く祖父に祖母が惹かれたとのことでした。
幼い頃、時々夏休みには祖父母に会いに行きました。 白いあごひげを伸ばして、怖くてなかなか話しができなかった祖父。 腰をまげていつもやさしく話しかけてくれた祖母。祖父は私が10歳、祖母は15歳のとき亡くなりました。 それだけが祖父母の思い出となりました。
大学は関西大学の二部(夜間)の法学部で、昼間は法律事務所でアルバイトをしていました。大学卒業後は数年間の司法浪人(司法試験の受験をするための浪人)後、27歳で某総合小売業に就職しました。店での勤務経験はなく、入社以来、物流関連の仕事に携わっていました。
四十八歳になった年の暮れに、会社が経営不振のため、大規模な早期退職の募集が行われました。当時、私は何の資格もないのでいざというときのため、春から昔の経験を生かし行政書士受験の予備校に通い始めました。
受験日を1か月後に控えた、9月に会社は破綻しましたが、「火事場の馬鹿力」で辛くも合格で きました。
その後、支援先が決まり従業員は解雇されなかったのですが、50歳を目前に昔、目指した弁護士にはなれなかったけれど同じ士業の「行政書士業務」にチャレンジすることを決意し、20年余りお世話になった会社を退職しました。
行政書士になってから、気づいたのですが、行政書士としての何の「コネ」も「ツテ」もなく 「仕事」がないのです。もちろんお金も退職金が少しだけ。最初は「各種許可申請」のDMを作りながら、ありあまる残りの時間は、相続関係の本を読み漁っていました。
ある日、相続の勉強のつもりで「山﨑家の古い戸籍」を集めてみました。祖父は、明治12年(1879)生まれ、28歳で結婚しました。そして昭和38年84歳で亡くなりました。祖母は明治20年(1887)生まれで、20歳で結婚し、昭和43年に80歳で亡くなりました。
そして、最終的には「祖父の祖父」の名(高祖父山﨑金兵衛)まで、たどれました。完成した「系譜(ご先祖様のことを時系列で書いた報告書)」を眺めると、父が話してくれた祖父 や祖母の話が思い出され、父が生きていれば家系図を見てもっといろいろな話を聞けたのではな いかという「後悔に似た思い」を強くしました。さらに「ツリー型の家系図」からは多くのご先祖様が居て現在の自分がいるという「ご先祖様に対する感謝の念」を抱きました。
私自身が抱いたこの思いは、「他の人々も、きっと感じるところではないだろうか?」と思い、 平成15年の夏から家系図作りを始めたのです。
第一号のお客様は、ご近所の建設業を経営される信心深い社長様でした。家系図をご覧になった社長様からは感動と感謝の言葉をいただけました。
その後、全国から徐々にご依頼をいただけるようになり、行政書士業務より、家系図作成業務が多くなりました。
多くのお客様から感動のおたよりをいただけるようになり、2008年には、家系図専門業者であることを宣言するため、「家系図株式会社」を設立しました。 以来、年間平均200家系の家系図作成のご依頼をいただいております。
「忘れ去られてしまうご先祖様を探し、記録する」家系図作成というすばらしい仕事に出会えて こころより感謝しております。
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