日本の家系図は、何のために作られてきたのでしょうか?
日本で家系図が作られた主な理由は、「自分たちの立場や身分を証明するため」でした。
さらに時代によって、家系図が必要とされた理由は少しずつ変わっていきます。
① 家系図は神話・皇室・豪族の身分証明でした。
古代の日本では、天皇の家系をとても大切にしていました。
『古事記』『日本書紀』は、天皇家の先祖を神様の時代までさかのぼって書いた、本当に大きな家系図のようなものでした。
豪族(今でいう大きな家のリーダーたち)は、天皇とどれだけつながりがあるかを示すために、家系図で身分を証明しました。
② 公家(貴族)の時代は家柄を示すための必須アイテムでした。
平安時代になると、貴族の世界では“家の格”が全てを決めました。
どんな仕事に就けるか、誰と結婚できるかも「家柄」で決まるのでそのため、家系図はとても厳密に作られました。
有名なのが『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』という巨大な系図集です。
藤原氏・源氏・平氏など主要な家の血筋が全部まとめられています。
公家にとって家系図は「特権階級である証明」でした。
③ 武士の時代は土地と一族の結束が大事になりました
武士の社会では、家系図の役割がガラッと変わります。
最も大切なのは 土地の正当な所有です。
「うちは昔からこの土地を守ってきた!」と主張するための証拠が必要となり
武士団のトップ(惣領)と、それに従う一族を明確にするための“組織図”が家系図です。
また戦国時代には、成り上がった武将が自分の権威を高めるために
「源氏の子孫だ!」などと名乗ることもありました。
ということで武士にとって家系図は「土地と権威の証」ということになります。
④ 江戸時代は人の管理が厳しくなり、庶民にも広がりました。
江戸幕府は社会を安定させるため、家系の管理をしっかり行いました。
大名・武士は家系図の提出を義務化(『寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』)
庶民は苗字を名乗れなかったけれど、寺院が「宗門人別改帳」という帳簿で家族を管理し、今の戸籍の原型のようなものです。
江戸時代は家系の記録が“社会全体のルール”として整えられた時代でした。
そして明治時代には戸籍制度が出来ました。
明治時代の戸籍には、大きく分けて 「国が国民を管理する仕組み」 と 「家制度をしっかり作るための仕組み」 という、二つの大きな役割がありました。
一つ目は、国の力を強くするための基礎となる役割です。
江戸時代の宗門改帳の代わりに、政府が国民一人ひとりの住所や身分を正しくつかむことで、
・兵役につく人を決める(徴兵)
・税金を集める(徴税)
・学校教育を進める
といった国民の義務を、効率よく行うことができるようになりました。
二つ目は、「家(イエ)」という考え方を法律で支える役割です。
1898年に明治民法ができてからは、戸籍の中心に「戸主」が置かれ、家族をまとめる仕組みが作られました。戸主の力は強く、家の中の上下関係を大事にすることで、家庭から国家への忠誠心を育てようとしました。
このように、明治の戸籍は、ただの家族の記録ではなく、国が効率よく国民をまとめ、統治するための大きな力になっていたのです。
私たちは、明治時代の戸籍まで遡って家系図を作成します。家系図作成の意義としては、(1)忘れられたご先祖様を明らかにすることが、「ご先祖様供養」になると信じております。
(2)今の家族の事を語り継ぐことが、「未来の子孫への応援」になると確信しております。
https://www.youtube.com/watch?v=ZEM7ogQ_T-c
